Collectives -集う-

偶然をして偶々邂逅せしめる

面白い共在の場を求める、
巻き込み巻き込まれ系コレクティヴの試み。

マキコミヤの祭り 17-22 July

読む・書く・描く・作る・
歌う・踊る・語る・演じる...

7月17日から7月22日までの6日間、いろんな人たちが、いろんな形で、それぞれに、知的に面白いことを発信する、オンライン&オンサイトの饗宴。

2024年もマキコミヤの祭りを開催します!!

巻き込まれ企画をお持ちの方は、どうぞ開催情報について
上のフォームよりご一報ください。

2024年 マキコミヤの祭り 17-22 July Timetable

前々々々夜祭:
7月13日()13:30-19:30【会場参加;申し込み制
シンポジウム「学と術のコモンズ:大学論から学術論へ」
主催者逆巻しとね
登壇者:大野瀬津子+立花史+飯嶋秀治+勅使川原真衣+古怒田望人/いりや+難波美芸

会場:北九州市小倉北区Gallery Soap

第一部:学の火種
第二部:術の野火

申し込みフォーム:https://forms.gle/Mz2BYkxo7hZGSLcBA

 学術界(academia)は凋落の一途を辿っている。学術の存在意義に対する世間の疑念、大学に対する国家の介入、運営交付金の削減、就職口のない大量の博士取得者、大学院進学者の減少、研究に社会的有用性を求める政財界の口出し、そして学力ではなく全人的「人間性」を評価基準に持ち込もうとする経団連の意向はその最たる症状だろう。フンボルト理念以来の大学の自治をなし崩しにするネオリベラルな趨勢としてまとめることも可能な、これら「悪いニュース」は、すでに多くの大学論が指摘してきたので、今さら繰り返すまでもないかもしれない。易きに流れる趨勢に抗う、実効性のある対案を出すことができているかどうかはともかく、まともな大学関係者ならば見通しが明るくはないことぐらいは骨身に刻んでいる。

 だが、これらの問題提起は、時事的かつ日本という特殊な島国の学術界を取り巻く状況への保守的な応答(昔はよかった)にすぎず、学術の根源に届く問いにはならない。まず、現在学術界を襲っているとされる危機はそれほど新しいものではない。社会的有用性を盾に大学の存在意義を疑問に付す世間の風あたりは昔から強い。大学を学術の聖域として墨守(ぼくしゅ)するよりも、ヨーロッパで隆盛を誇った「学問の共和国」や19世紀アメリカ合衆国で展開した「ライシーアム」、資本の潤沢な夫人たちに支えられた「サロン」、市民科学、分野横断的な集合知形成の実験といった、危機の只中で実践されてきた、知的共同性の系譜を掘り起こすことの方が喫緊だろう。これら大学の枠組みを超えた、人文主義や科学コミュニティの制度的学術知をリプレイする温故知新によって、現代の学術が依って立つ、今や踊り場程度に縮小した足場に少なくとも耐震補強を施すことぐらいはできるのではないか。

 学術の制度が忘却した種火を熾火に育てると同時に、同じ学術の制度から排除されている野火を探す作業も必須となる。学術の実践は、ある種の知的階級に限定されることはなく、市井に点在する書店や公共施設、企業、あるいはウェブ上へと、読書会やトークイベント、ワークショップの開催、同人批評誌やZINEの作成として展開している。もっともこれら学知の民主化の実践は、大学関係者から構成される狭義の学術界が主導しているものではないため、「学術」の勘定に入れられることは稀で、「大衆化」として冷たくあしらわれることも多い。在野研究者の存在は近年ささやかな注目を集めているが、学術論文よりも広い意味の学術を担っている小中高の教員や専業非常勤講師、塾の講師、僧侶、企業人、アーティスト、出版関係者などは依然として学術の主体としてカウントされていない。とりわけフェミニズムや運動史を始めとする学知は、狭義の学術コミュニティに専有されるものではなく、広く生きとし生けるものが生きるために必要とされている。

 少年老い易く学成り難し。「学」の魅力が達成困難な点にあるとしても、長ずるに従い長けてしまう「術」にも蠱惑(こわく)はある。「学」という語は、「学者」「学校」「物理学」「碩学」と、どこかしら権威や正統を強く示唆する制度的語彙と縁が深い。これに対し、「術」は技芸を広く含む語であるがゆえにどこか怪しさを湛えている。「芸術」「戦術」「算術」はともかく、「忍術」「魔術」「権謀術数」「話術」と並べてみると、リスキリングの念仏には及びもつかない「学術」の異貌が覗く。いっそ「百術は一誠(いっせい)に如かず」を転倒させ、「一誠は百術に如かず」と嘯こう。制度の内外で、連環する百学と山窩(さんか)の百術は裏で手を握っている。

 本シンポジウムでは、学術の制度が担保している知と、その制度から忘却された知恵やそ制度から排除されている潜在的な学術知の配合を目指す。研究教育機関を中心とした学術制度の打倒や転覆といった対抗言説をつくるわけでも、学術の制度の真正性を裏書きして世間への不平を縷々(るる)と連ねるのでもない。学と術を密集させ、創発を呼び寄せる。学術の膂力(りょりょく)の根源は絶えざる創発にある。

 第一部では、今ではあまり真剣に顧みられることのない学術の制度に焦点を当てる。大野瀬津子は米国女性知識人の活動、立花史はフランスの人文学、飯島秀治はフィールドや学の連環の観点からアプローチする。

 第二部では、学術の制度の外で展開している知の術に注目する。勅使川原真衣は企業文化の知、古怒田望人/いりやはクイアの知、難波美芸はインフラをめぐる知を提示する。

 各部終了後に、登壇者各自の論点を結ぶ短いセッションを行い、全体終了後に登壇者全員によるセッションを行う。フロアからの投壜(とうびん)を歓迎する。

前々々夜祭:
7月14日()13:30-19:30会場参加;申し込み制】
VerbFeS #2
主催者:逆巻しとね

会場:Gallery Soap(〒802-0004 福岡県 北九州市 小倉北区鍛冶町 1丁目 8-23)※JR鹿児島本線 小倉駅 徒歩5分

登壇者:
木田 真理子 (コンテンポラリーダンス)
古怒田 望人/いりや (哲学)
小澤 京子 (表象文化)
福田 貴成 (聴覚文化)
かふね (俳優・モデル・Ziner)
なす (不気味の谷)
風味や (💩鑑定家)
神谷徹石 (哲学・倫理学)
室賀千草 (通訳)

ルール:
持ち時間は30分、各自「動詞」ひとつについてプレゼン。
スライド、原稿の有無、即興、身体表現、楽器の使用など、方法は自由。

参加申し込みフォーム:https://forms.gle/yyaVkCjmRtLBiH839

VerbFes manifesto -------------------------------
学術界のPDCAサイクルは名詞を回す。学者の固有名、著作名、論文、概念、ネイティヴ・インフォーマントの仮名、仮説、物質、実験器具、環境要因、種、薬剤、数式……。入門書で紹介されている専門用語に一般動詞が含まれることは稀だ。知の主役の座にはいつも名詞が座っているから、名詞をたくさん記憶しているのが知識人、という通念は世人の松果体まで侵食している。知を獲得し蓄積するためには名詞を知らなければならない。だがそもそも知(knowledge)とは名詞の蓄積なのだろうか?

フェミニズムSTSの論者ダナ・ハラウェイは、知を実践として語る。いくら研究者が奮戦しようが、観察系のなかで当のチンパンジーが行為をしなければチンパンジーの知は生まれないし、文字の羅列に読み手が意味を認めなければ解釈のしようがない。さまざまなアクションが入り乱れるなかで知は創発する。既知の知も状況に応じて、以前とは質の異なる知へと刻々と生成する。物識りや博覧強記に抱く世間のイメージに反して、知は誰にも所有できない。角が立つのを恐れず断言するなら、知は働く。

働く知が呼び寄せる出来事について思考を巡らせた先人は多い。たとえば、生成の思想家ジル・ドゥルーズは『意味の論理学』のなかで、動詞を元手に主部をつくる不定詞や動名詞に出来事を表出させる力を認めている。坂部恵は動詞「あう」が名詞化することによってできた言葉「あわい」に注目し、それが(主語の論理ではなく)矛盾や背反の存在しない述語の論理を構成すると論じている。宮野真生子の『出逢いのあわい』が、あわいという出逢いの場に生じる偶然性や出来事に肉薄しようと建てられた仮小屋であった点を思い返してもよいだろう。フェミニズムの政治や脱構築の中心概念であり続けてきた、J・L・オースティンの言語行為論とそれに類する行為遂行性の議論もこの列に連なる。所与のコンテクストに主体や客体を乗せるのではなく、アクターによる行為がコンテクストもろとも状況を編み上げていくさまを追うアクター・ネットワーク・セオリー(ANT)の貢献も見逃すことはできない。だがこれらはすべて、名詞に潜む動的なポテンシャルを汲み上げはしても、動詞の名詞化、あるいは動詞の概念化を志向する点において、依然として主体/主語の形而上学に与している。名詞の造語による概念は増殖をやめる気配はなく、動詞への関心はまだ貧しい。

世界には動詞が溢れかえっている。血管を破れば血はどくどくと吹き出し、シナプスはぷすぷすと結合し、がん細胞はがんがん増える。生きていないものさえ動詞に貫かれている。風が吹き、岩は風化し、マイクロプラスチックは分解され、PCは壊れる。動詞がつくる不安定な世界を御そうと、学術の徒は名詞と共に仮小屋を建てる。そして仮小屋に安住し、そのそばで営まれている、残酷でどこまでも開かれた動詞の世界に参加することを忘れる。学術論文に敷き詰められた文の末尾に座る「である」「だ」「なのである」は、「主語の論理」に仕え、働く知や出来事には頓着しない。学術の対象、あるいは学術実践自体に宿る、「主語の論理」では記述できない動詞の働きに対する、研究者の感度は鈍い。

何ごとにも例外はある。京都大学学術出版会から刊行されている「生態人類学は挑む」シリーズ(https://www.kyoto-up.or.jp/series.php?id=154)の論集「SESSION」は、動詞を問いとして掲げる先駆的な仕事かもしれない。各論の記述はさておき、「動く・集まる」、「わける・ためる」、「病む・癒す」、「関わる・認める」、「たえる・きざす」、「つくる・つかう」と並ぶ動詞群は「主語の論理」の末端へと分け入る手がかりを与えてくれる。

名詞の大樹の陰に寄り世界を把握しようとする知識人をきどるのはやめ、働く知が逆巻く動詞の渦の中に飛びこみ世界の制作に与する、VerbFeSをここに開催する。

逆卷しとね(学術運動家/野良研究者)

前々夜祭:
7月15日(月・祝15:00-17:00 【会場参加&オンライン;申し込み制
『フーリエの新世界』(水声社、2024年)刊行記念トーク「フーリエを笑いものにするとき、われわれは何を犠牲にしているのか?」
主催者:逆巻しとね
登壇者:福島知己(編者)小澤京子

猫と花を愛し、狭いアパートで生涯を孤独に過ごした独居老人。海水がレモネードに変わり、五つの月によって夜の闇が照らされ、敏捷かつしなやかに動いて生活の利便を増進させる第五の肢が臀部に生えてくると予言した超絶奇人。教えを乞う弟子たちに決して心を許さず、自分の計画を実現してくれる篤志家をただひたすらに待ちながら無為に生涯を終えた頑迷固陋の人。ありあまる才気をもちながら、現実的な改革手段を何ひとつ提案できなかった空想的社会主義者。——シャルル・フーリエのイメージには、われわれが「世間並み」に生きようとすれば隠し通したい悪評が詰め込まれている。けれどもそれは、悪評であることだけが共通している、否定的イメージでしかない。結局フーリエとは誰なのだろうか。フーリエの統一的イメージは、どうすれば形成できるだろうか。逆に考えてみよう。なぜフーリエはバルザックやボードレールに賞賛され、シュルレアリストから先駆者と崇められ、クロソウスキーによって資本主義を乗り越える方途と目されたのか。彼の思想は、どのようにわれわれの想像力を刺激し、人間と社会についてのわれわれの理解を深化させるのだろうか。近刊『シャルル・フーリエの新世界』の執筆者二人が、フーリエを縦横無尽に論じる。

出演:
福島知己(帝京大学経済学部准教授)
小澤京子(和洋女子大学教授)
逆巻しとね(司会・学術運動家/野良研究者)

会場:本のあるところajiro(福岡市天神3-6-8-1B)

参加方法:会場参加/ライブ配信

チケット:会場1,650円(学割1,100円) オンライン1,100円
配信方法:YouTube(1ヶ月アーカイブ付)

会場参加チケット:https://ajirobooks.stores.jp/items/66602352a4c972058d9ca7b6
会場参加チケット(学割):https://ajirobooks.stores.jp/items/666023b43cc7cf04c037830c
配信視聴チケット:https://ajirobooks.stores.jp/items/6660244d3cc7cf048f37839b

前夜祭:
7月16日(未定未定
未定
主催者:未定

7月17日(未定未定
未定
主催者未定

7月18日(木)未定未定
未定
主催者:未定

7月19日(19:00-20:30【会場参加andオンライン;申し込み制】
代官山人文カフェ「会話を続けることはなぜ大事なのか?」
登壇者:朱喜哲+三浦隆宏+奥田太郎

代官山蔦屋書店の人文書担当コンシェルジュ、宮台由美子の提案で、奥田、三浦、宮野で始めた書店内対話イベント、"代官山人文カフェ"。その第26回です。

ローティは「人類の会話を守ろうとした哲学者」だと朱喜哲さんは言います。議論による真理の探究を目指してきた伝統的な哲学と異なり、「雑多で多様な複数の声たち」が響く日常的な場を守ろうとしたのが、ローティの「アンチ哲学」なのだ、と。では、なぜ議論を打ち切らずに営々と会話を続けることは大事なのでしょうか? また、会話を続けるうえでのコツのようなものははたしてあるのでしょうか? 哲学と会話の(不幸な?)関係について、皆で話し合いながら考えてみませんか。

場所:代官山蔦屋書店(東京都渋谷区猿楽町17-5)

お申し込みはこちらから。

7月20日(17:00-19:00【会場参加andオンライン;申し込み制
『汚穢のリズム』刊行記念座談会「生き物係は整わない〜人間と非人間のあいだ」
登壇者酒井朋子+奥田太郎+中村沙絵+福永真弓+逆巻しとね

私たちはみな、いろんな生き物といろんな仕方で付き合って生きています。そのなかで私たちは、時にそうしたものを「きたないもの、おぞましいもの」として隔離・清掃・美化します。そこに潜む、学知の言葉では端的に拾い上げられない何か重要なことを求めて、人類学、倫理学、環境社会学などの視点をもった著者たちが、汚穢のなかから、汚穢として脈打ちつつ、書き綴ったのが本書です。
今回のイベントでは、本書の編者が一堂に会し、自分以外の生き物を飼い慣らそうとして一向に整わない、生き物係としての人間と人間でないものをめぐる「巻き込まれる」公開座談会を行い、参加者のみなさんとともに互いの「汚穢のリズム」を協奏します。司会には逆巻しとねさんをお呼びしています。

司会:逆巻しとね(学術運動家/野良研究者)

出演:
酒井朋子(京都大学人文科学研究所准教授)
奥田太郎(南山大学社会倫理研究所教授)
中村沙絵(東京大学大学院総合文化研究科准教授)
福永真弓(東京大学大学院新領域創成科学研究科准教授)

会場:本のあるところajiro

参加方法:会場参加/ライブ配信

チケット:会場1,650円(学割1,100円) オンライン1,100円
配信方法:YouTube(1ヶ月アーカイブ付)

7月21日(14:00-17:15会場参加andオンライン:申し込み制
愛・性・結婚の哲学の現在
主催者:藤田尚志+奥田太郎

14:00-15:00
第一部:『愛・セックス・結婚の哲学』から『なぜ恋』へ

一昨年は土肥いつき、池袋真、札幌レインボープライド有志。昨年は尾崎日菜子をお迎えして繰り広げてきたこの「愛・性・家族の哲学」シリーズ。今回は先頃刊行されたR・ハルワニの『愛・セックス・結婚の哲学』(名古屋大学出版会)の監訳者であり、「セックスの哲学」界隈で知らぬ者のいない江口聡を福岡にお迎えして、この話題の書の魅力、攻略法そして限界(?)について語り尽くしていただきます。マキコミヤの祭りならではの企画として、宮野真生子の『なぜ、わたしたちは恋をして生きるのかーー「出会い」と「恋愛」の近代日本精神史』(2014年)へのコメントも!

講演者:江口聡(京都女子大学)
司会:藤田尚志(九州産業大学)、奥田太郎(南山大学)
場所:福岡大学(予定)

15:15-17:15
第二部:訳者に訊く『愛・セックス・結婚の哲学』

『結婚の哲学史』連載中の藤田尚志、『なぜ恋』の名付け親である奥田太郎の問いかけに、訳者(江口・岡本慎平・相澤伸依)はどう反応するのか。巻き込まれ人で田邊元研究者の竹花洋祐、みんなのてつがくCLAFA代表の安本志帆まで参戦し、ディスカッションは始まる前から乱戦必至。

提題者:藤田尚志(九州産業大学)、奥田太郎(南山大学)
応答者:江口聡(京都女子大学)、岡本慎平(広島大学)、相澤伸依(東京経済大学)*出演交渉中!
司会:竹花洋祐(福岡大学)、安本志帆(みんなのてつがくCLAFA)
場所:福岡大学(予定)

参加申し込みの詳細は、後日お知らせいたします。

7月22日(18:00-19:00【オンライン:申し込み制】
ベルクソンと動物たち~霊長類社会学・動物行動学・オルタナティブ生化学との邂逅~
登壇者:西江仁徳+米田翼+平井靖史+村上久+藤田尚志

それぞれの分野で話題の研究者が集まり、ベルクソンと動物たちについて何を語るのか。話題はヒト、植物、果ては地球外生命体(ETL)に及ぶかもしれない。拡張ベルクソン主義はどこまで行けるのか。

司会:藤田尚志(九州産業大学)
登壇者:
西江仁徳(京都大学)
米田翼(大阪大学)
平井靖史(慶應義塾大学)
村上久(京都工芸繊維大学)

申し込み詳細は後日お知らせいたします。